昨今の都市開発によって特に都市部においては、何処に行っても同じ景色、同じ味、同じ匂いになってしまいました。このコラムでは、このホームページのホームで説明しているような、まだ残っている街の残域と言うべき《ざわめき》を自分の足で探し、現地にて感じたことや調べてわかったことを綴っています。また、このコラムで紹介されている場所や地域の散策イベントを実施し、イベントページにて紹介しております。是非ご覧ください。


※このコラムは、私の所属する韓日文化経済新聞の月刊新聞コラム『澤田記者の韓国独報紀』でもあります。“独報紀とは、独自の視点(虫眼鏡で探し回すように)で報せる紀行文と言う意味で、独報紀を韓国語で発音すると虫眼鏡の純韓国語と同じ発音となります。

[目次

明南洞の防犯猫「ミナ」と不審者の私(ショートショート)

⑧地名に隠された謎を求めて、道の林地下神殿道林川を歩く。

⑦水色のデジャブー、ソウル西部の境界地“ソウル恩平区水色洞”を歩く。

⑥薔薇と市場と線路と、ソウル南西の境界地“九老区開峰洞・梧柳洞”を歩く
⑤通仁市場「弁当カフェ」で楽しく伝統的市場体験

④城北洞の鳩はどこへ行ったのだろうか?

市場でもらった‘心のおまけ’
②暖かい“情”が残る韓国人のふるさと、タルトンネ白砂村を歩く 
①庶民の台所の在来市場を歩く(私の在来市場好きの原点)

 

明南洞の防犯猫「ミナ」と不審者の私(ショートショート)

明洞に設置されていた不思議な監視カメラ
明洞に設置されていた不思議な監視カメラ

 私はよく再開発計画が滞るソウル市内の古い街(大抵は低所得層密集地域)を散歩する。そのような街の防犯システムは番犬であることが多いため、いつも散歩中に大きな犬の鳴き声に驚かされる。その一方で、優雅に日当たりの良い屋根上で休む可愛い猫を目にすることも多く心が癒される。10月のとある日に明洞の南側にある街で散歩を楽しんでいる時も可愛い猫に遭遇したのだが、街中に設置された監視カメラの多さに驚き、この街にとって私は不審者であるんだなと実感した。

 ソウル市では近年増加する犯罪に対処するために、犯罪予防環境設計CPTED 都市計建築設計などの都市環境犯罪する防御的なデザインをじて、犯罪発生らし、住民の犯罪への恐怖をなくし、安心感維持するようにする総合的犯罪予防戦略理論 )の拡大を進めている。201210月には、今まで新築マンションや新市街適用してきた犯罪予防環境設計をいわゆる社会的弱者の住む低所得層密集地域についても適用を拡大し、予防デザインプログラムを実施している。

私はカメラを持って街をふらつく不審者である。街の監視が強化していく中で “明南洞の防犯猫「ミナ」”と称しこれからの街の未来の防犯システムについて空想してみた。

 

第1話:不審者レベルC (内容に架空の地名が含まれてます)

 

“あなたは、不審者レベルCになりましたので、警察に来てください。”突然ソウル警察から電話がかかってきた。私は警察にお世話になるようなことをした覚えがないので、“え、どうしてですか?”と聞くと、警察は“ミナと言う防犯システムはご存知でしょうか?そのシステムから、あなたは不審者レベルCですとのメッセージが来たのです。”と答えてきた…。

 

…韓国の統計発表した2020年社会調査結果によると、国民10人中半数の5人の割合で韓国社会の安全かす最大不安要因として、犯罪げた。10年前調査では10人中3であったが、統計関係者“長引く不景気による社会不安からの不特定多対象とした無差別犯罪女性った性犯罪がここ数年でさらにしたことが影響したとみられる”と分析した。そのため、翌年の2021政府は街中の監視カメラ設置を強化するとともに、民間監視の強力を要請した。しかし、個人で街中に監視カメラを設置して警察に通報する“防犯パパラッチ”が大流行(このようなパパラッチは、かつてカメラ付携帯電話の普及で流行したことがある)。更に暇な時に自分の設置したカメラ映像を動画サイトに投稿したりスマートフォンで見て楽しむ人が増え、《誰かに見られているかもしれない症候群》と言う社会不安が広がったため、政府は不法な民間監視を取り締まるとともに監視方法の新たな手法を模索していた。そこで政府が目に付けたのが明南洞で開発された防犯システム・ミナだ…。

 

“え?そのミナって何なのですか…?”

 

 私の質問に対して警察は防犯システム・ミナのホームページのアドレスを伝え確認の上再度電話をするよう指示してきた。

 

防犯システム・ミナのホームページのホームページを覗いてみた。

 

[防犯システム・ミナの背景]

  防犯システム・ミナとは、ソウル市南山山麓の明南洞にある創業シェアタウンに住む若者が集まって開発した防犯システムで、このシステムの開発の背景には、彼らが住む創業シェアタウンの歴史にある。

 シェアタウンのある明南洞はかつて貧しい老人達が住む低所得層密集地域(タルトンネ)であった。南山の北向き斜面のところにあるため、日当たりが悪く、建物の窓のほとんどが北向き。そして、近くにユネスコ遺産に登録された城郭があるため建築規制が厳しく、おまけに急斜面であるため不動産価値が低い。その悪条件から開発が滞っていた。その一方で、この洞の北側にはかつて激安コスメショップが建ち並び多くの観光客で賑わっていた明北洞があり、現在は南山ヒルズと言う一流高級化粧品企業が入居する超高層ビルの街になり、中国や東南アジアの新興国富豪層のバイヤーや観光客が高級化粧品を買い付けにくる街になっている。

 政府は発展する明北洞に近接しているという立地条件から、明南洞一帯を若者の創業を援助する“創業シェアタウン”に指定し、本来住んでいた貧しい老人たちは生活しやすい公共住宅へ引っ越しさせ、空いた古い建物を政府がリノベーションし若者達が安い家賃で空間をシェアしながら住めるように提供した。

 廃墟マンションを活用した都市農園や太陽光発電、IT機器の開発創業や実証実験、ファッション・デザイン雑貨の製造、音楽や芸術活動が盛んに行われている一方で、発展する明北洞の富豪を相手にした売春や麻薬売買、ハッカーなどのゴロツキが住むようになり、次第にこの街は創業に努力する者とそうでない堕落した者が住むエリアに住み分けられるようになった。そのような住民環境のコントラストの強さから、次第に治安が悪くなり窃盗、器物破損、嫌がらせなどの犯罪が多発するようになった。

 この増加する犯罪に創業シェアタウンに住む良心的な者たちが危機感を感じ、集まってSNS型の防犯監視システムを開発した。それが、猫型ロボットを利用した防犯監視システム・ミナだ。名前はこの街の地名の明南(ミョンナム)から発案。このシステムは、増加するこの街の犯罪撲滅と全国的でも増加する犯罪の防犯システムとして政府や民間企業に売り込むため開発された…。

 

都市農夫とシェフ,アーティストが集まって作った都市型市場、マルシェ@恵化洞 http://marcheat.net/
都市農夫とシェフ,アーティストが集まって作った都市型市場、マルシェ@恵化洞 http://marcheat.net/

第2話、 防犯監視システム・ミナとは?。

 

 防犯システム・ミナのホームページを見終わった。再度警察に電話するように指示されていたので電話をかけてみると私が不審者Cと指定された経緯を警察が説明してきた。

 

“それでは、御説明いたします。あなたは創業シェアタウンで仮想弘大(ホンデ)と呼ばれるエリアDの漢熙情(ハン・ヒジョン)さんの住む家の周辺をよく歩いておりますね。ミナ・システムにより不審者レベルCに達しましたので一旦漢熙情さんにあなたの一連の行動と個人情報を通報します。不審者レベルC とは逮捕ほどの罪ではなく通報レベルという意味です。通報しますね、よろしいでしょうか?

インディーズバンド「ジンゴゲ(泥峴)タンポポ」女性ボーカルの漢熙情(ハン・ヒジョン)
インディーズバンド「ジンゴゲ(泥峴)タンポポ」女性ボーカルの漢熙情(ハン・ヒジョン)

…私が不審者と呼ばれるほど、この明南洞の創業シェアタウンに足を運んだのには訳がある。それはこの場所が新製品の創業のための文化的実験現場として活用されているからだ。人が階段を降りる力を利用して光って音楽が流れる坂道発電階段、この街でロケーションされたミュージックビデオシーンなどの仮想体験ができるAR眼鏡仮想コンサート場など。私のお気に入りの場所は「明南コスモスの丘」。ここでは花畑を前景としてソウル都心のビル街を眺望でき、ぽつんと建っている古びた建物「都市農夫食堂」ではソウル市内で作られた野菜料理を食べることができる。そしてもう一つの理由(これが本当の理由)がインディーズバンド「ジンゴゲ(泥峴)タンポポ」の女性ボーカルの漢熙情がこの街に住んでいるからだ。彼女との最初の出会い(仮想の出会い)はAR眼鏡を利用した仮想コンサート。彼女の少女が甘いと感じる全ての甘さのような歌声とギターを弾く細い腕と長い指、真っ白な肌と頬のホクロ、サークルレンズをはめたような黒くて大きな瞳に魅了されてしまい、不審者と見られるほど彼女の家の近くを足繁く訪れてしまっていたのだ …。

 警察から漢熙情さんに通報しますとの説明に愕然とした。熱心な漢熙情のファンから彼女のストーカーに転落。私は自分の行動を誤魔化すために慌てて返答をした。

 

“ちょっと待ってくださいよ。漢熙情さんの家は関係ないです。あの辺りには人懐っこい猫がいっぱい居ますよね。猫が好きなんでよく写真を撮るために行ってたんですよ。”

 

“そ、その猫なんですよ。その中の一匹がミナなんです。”

 

“え、あの可愛くニャーニャーとよく鳴く猫ちゃん、監視ロボット猫だったんですか!!

 

“はいそうです。ではもう少し詳しくこの防犯監視システムを御説明しましょう。

大抵の猫って、人を見るとすぐ逃げてしまいますよね。そして、家で飼っている猫は主人の足音をおぼえていて、主人が帰宅した時に玄関で待ってます。このシステムはその猫独自の特性を活かしてつくられたんです。

 まずミナを創業シェアシェアタウンの一軒一軒に一匹づつ配置して、そこに住む住民とその住民の親しい友人や家族の顔写真、身長、足音情報をミナにインプットし住民登録すればセッティング完了となります。システムの作動内容を簡単に説明しますと、登録されてない足音の不審者が家に近づいてきた時に、ミナには主人の足音が聞こえるようにしておくんですよ。そうしておけば、不審者が来たときに、ミナは不審者を主人と思い込んで近づいてきますよね。そして、近づいてきた不審者が本当に主人であるかミナが顔認証(写真撮影)を行います。写真が主人でなければすぐに逃げて、防犯監視システムにその不審者の写真情報を送信するとともに、主人の持つスマートフォンに不審者の写真と接近情報が伝わるようになっているんです。

 情報収集で一番大切なことは探偵やスパイのように、誰かに見られているかもしれなという不安を相手に与えないで、収集した情報を確実に獲得すること。それを可能としたのがこの防犯監視システムなんです。”

明洞にいた可愛い猫ちゃん。
明洞にいた可愛い猫ちゃん。

“なるほど最近《誰かに見られているかもしれない症候群》が広がってますからね。猫は人を見てすぐ逃げる、だから不自然でない。でも、登録されてない人でも主人の知人であることがありますよね。その時はどのように判断するんですか?”

 

“それはですね、主人が持つスマートフォンには、SNSのタイムライン画面のように家に近づいてきた不審者の顔写真が逐次表示されるようになってます。そして、その写真の下には“ハートマークの好き(知人)”と“涙マークの残念(不審者)”のボタンがあり、主人が判断してどちらかのボタンを押せばいいことになってます。残念と判断された不審者の写真だけ防犯システムに送信され不審者データベースが構築されます。

それでは、あなたの情報を通報しますね。後日私ども警察宛に漢熙情さんから返信メールが来ますので、それをあなたに転送します。ではよろしくお願いします”

 

……数日後、警察から漢熙情さんの転送メールが届いた。私は心臓がはちきれるぐらいどきどきしながらそのメールの内容を見た。

 

“あ~すいません。その猫ちゃんは一匹だけ試験運用中の監視猫ミナ2.0なんですよ。

近くに住む電動車椅子に乗ったおばあちゃんが“眺めがいいね、風通しがいいね”と言いながら私の家の前によく訪れるんですね。そのおばあちゃん、私の家のミナちゃんをよく可愛がってくれて。時より猫が好きなカメラマンも訪れてきて、この物騒なシステムをもうちょっと寛容なシステムにしたいなと思い、開発者にミナのシステムバージョンアップを依頼したんです。不審者判断ボタンに“稲妻マークのファイト(おばあちゃん頑張って)”と“笑顔マークの嬉しい(猫好きな不審者でたぶん良い人)”の二つボタンを追加しました。これらのボタンを押すと次回からは逃げずに近づいてくる人に一声“ニャー”と鳴くようにしたんですよ。こうしたほうがその場が和むし、猫として更に自然でしょ!。追加した二つの判断ボタンが警察には不審者認定と判断されたようです。警察さんから間違ってあなたとおばあちゃんに不審者通知が送られてきて大変申し訳ないです。ごめんなさい。”

 

 私は、ほっとして肩をがくっとなでおろし、“あ~だから、あの猫は写真を撮るたびに私に向かって可愛く“ニャーニャー!”と鳴いてきたんだ!”と嘆いた……。

 

 大抵の猫は人を見たとたんに逃げてしまう。悪いことしてないのに、なぜ逃げるんでしょうか?それは不審者の情報を付近の住民に伝えるためです。みんなさん、街で猫に出会ったら注意してくださいね。でも“ニヤー!”と鳴いたらあなたは不審者でありません(笑)

 

 さて、電動車椅子おばあちゃんにも警察から“あなたは不審者レベルCです”とのメッセージが届いている。このおばあちゃん、この街の近くに残る長寿村に住み雑居ビルのお掃除の仕事をしている。おばあちゃん、警察になんと答えたんだろうか……?

 

解説

不審者レベルA:逮捕相当のレベル、他人の家への進入や女性を狙った犯罪など

不審者レベルB:レベルCの通知を無視し度々不審な行動する

ミナ3.0:ミナの防犯システムの完成形。お互いの監視猫が情報を共有交換し不審者レベルAと指定された不審者の侵入を防ぐと共に、いざという時に共同で不審者の退治を行う。

この物語の製作のための参考資料:ソウル市の街づくりニュース、カカオストーリー(スマートフォンSNSアプリケーション)など

地名に隠された謎を求めて、道の林“地下神殿道林川”を歩く。

大夜味で見つけた秘密兵器車両
大夜味で見つけた秘密兵器車両

 以前、ソウル市南西部に位置する安山市で働いているとき、地下鉄4号線を通勤の足として利用していた。自宅のあるソウル城北区から乗車して到着までの約1時間半、長い通勤時間。大抵の人々は途中のソウル駅で下車するので、そこから安山駅までの約1時間は座って通勤ができ、地下鉄一号線と交差する安養市衿井駅を過ぎると車両が地上に上がり、車窓から郊外の田園風景を楽しむことができる。この地下鉄4号線には、一つ不思議な名前の駅がある。大夜味(デヤミ)駅という駅。大きな夜の味と書く軍浦市にある駅だ。私はこの大夜と言う言葉が気になり調べてみた。諸説はあるがこの大夜と言う言葉は、禅宗の用語で大帰夜の略とされ、一度行ったら再び帰らない夜を意味し、法要・法事の前夜にあたると言われている。 大夜(法要・法事の前夜)、漢字の当て字だろうが実に不気味な名前だ。この駅の周辺に禅寺や禅に関係するようなものがあるかどうか、去年の紅葉が綺麗な秋の頃に探索を試みたがそのようなものはなく、丘陵地に狭い田畑が点在するごく普通の長閑な山間の街であった。

 この不気味な地名の意味、一年を経てようやく知ることとなった。それは、今回紹介する河川道林川(ドリムチョン)が流れる道林(ドリム)という地名を調べてわかったのだ。道林は最初キルペミ( 빼미)と呼ばれていた。キル(길)は韓国語で道を意味し、ペミ(빼미)は畦で囲まれた田んぼ一つ一つの区域を意味する。この地名は城郭のように山で囲まれた(畦で囲まれたように)村が里道沿いに座っている様に見えたことから付けられた。それを漢字で当て字にしたのが二番目の地名道夜味(ドヤミ)。キルを漢字でと変え、ペミを漢字で夜味と当て字にした。それから、ドヤミがしだいにドリムと発音されるようになって現在の道林(ドリム)という地名となったのだ。

   地名の変遷:キルペミ( 빼미)→ 道夜味(ドヤミ)→ 道林(ドリム)

そこで大夜味。この地名は、山間に畦で囲まれた小さな田んぼ(ペミ)がたくさんあったため、デペミ( 빼미)と呼ばれ、それがデヤミと発音されるようになり現在の大夜味となったと言うわけだ。

   地名の変遷:デペミ( 빼미)→ 大夜味(デヤミ)→大林(デリム)?

(もしかしたら……。ペミ→ヤミ→リムという発音変化の規則性を考えると、同じ道林川上にある大林駅の大林と言う地名はもともと大夜味(デヤミ)ではなかったのではなかろうかと期待をして調べてみたが、新大方(シンデバン)と新道林(シンドリム)の中間に位置するため大林になったようだ。凄い発見をしたと思ったのだがちょっと残念である。)

道林川(撮影2007年)現在は水が流れているのでこの地点からの撮影はできない。
道林川(撮影2007年)現在は水が流れているのでこの地点からの撮影はできない。

 さて道林川は、最近水と緑の市民の憩いの場として蘇ったコンクリート三面張りの半地下河川である。2007年から道林川に市民を返すための生態河川復元事業が開始され、2012年には大韓民国景色大賞最優秀賞を受賞する快挙を成し遂げている。私は2007年ぐらいにこの場所に訪れている。その当時は河川でありながら水の流れが少なく河川敷きに緑地がない、砂利とコンクリートだけの無機質な涸れた河川であった。河川と周辺市民の接点といえば、河川側に張り出して建設された高架道路下と河川上に建設された駅舎下を通る自転車道だけ。陽のあまりあたらない半地下空間に、高架道路と鉄道高架そして駅舎の柱が林立し「地下神殿」と呼べるような異質な風景を偶然発見し喜びを感じたものだ。喜び?大抵の人はこのちょっと暗くて異様な空間に不安を覚えるかもしれないし、またはただの土木構造物として見てしまうかもしれない。でも、装飾のない生々しい構造美を見せる列柱と意図的でなく無造作に造られたこのような空間を目にした時、私はからだ全体に野性的感覚と言うか何か生き生きとしたような感覚を呼び覚まされたような感じを受けた。それはたぶん、動物が無秩序な風景の森の中で無秩序であるが故に誰にも分からない塒(ねぐら)を探し当てた喜びに近いのかもしれないし、このような空間やよく歩き回っている古い市場、路地に見られる意外性や無秩序な記号性は私にとっての酸素なのかもしれない。フランスの思想家ジャン・ボードリヤールは思想雑誌“TRAVERSES”の「記号の黄昏」でこのようなことを語っている。どんなに美しくデザインされた環境でも、人は窒息するかもしれない。なぜなら、いかに美しい環境でも、そこに住む人間が機能的な変数にすぎないならば、死んだも同然である。まさにそれが、利用者=消費者の運命なのである。 私の散策とは人々の流れを避けて機能的な変数を脱し自分だけの風景を発見することなのだ。

道林川(撮影2012年)
道林川(撮影2012年)

 最後にこの場所の位置と現在の魅力を紹介しよう。場所はソウル地下鉄2号線九老デジタル団地駅駅舎の下。ここは晴れた日の夕方に行くのをお薦めする。それはその時間に光と影と水の格別な風景を楽しむことができるからだ。低い夕日が穏やかに流れる水面を照らし、その光がキラキラと流れながら高架桁裏に反射光をユラユラと照らす自然光のアートと、夕日の強い光りが列柱の陰影のシルエットと垂直性を強調し、まるで水の流れる林の中にいるような様、まさに道の林道林の風景を楽しむことができる。そのほか、河川と交差する橋から流れ落ちる巨大な水のカーテンとそのザーという雨音のようなピンクノイズ音(1/fのゆらぎ音) 、緩やかに流れる水の鏡に映し出された地下都市も楽しむことができる。

水色のデジャブー、ソウル西部の境界地“ソウル恩平区水色洞”を歩く。

 ソウル西部の境界地を訪れる旅にでる前日、私はこんな夢を見て、ちょっとしたデジャブーのような不思議な体験をした。

 

(夢の内容…私はある地方都市のある設計の仕事を請け負い、カメラなど必要な資料を準備し現地調査に出かけた。ソウルで地下鉄に乗り、とある駅で地方線に乗り換え、山間の長いトンネルを抜けると、小さな新興都市に電車が到着した。ん~駅舎が新しいね。新興都市だから当然か、と考えながら駅の通路を歩いていると、ふと本当にここが仕事を請け負った場所がある所なのか不安になった。結構長い時間電車に乗り、仕事を請け負う場所の最寄りの駅名を忘れてしまっていたからである。周りを見渡すと、駅の改札口の上の壁に、この都市を紹介する古い絵と観光案内の写真がはってあった。古い絵には何やら牛を引く人々が描かれていて、達筆な筆字でこの地の地名が書いてあった。しかし、その字が達筆すぎて、とても読めるような字ではなかった。目の前を通りかかる若い人を見つけ尋ねてみた。ここは、なんて名の駅ですか?あれ、通じない。あせっていた私は日本語できいてしまった。あ、そうだそうだ、ここは韓国だ。若い人は牛路(ウロ)駅だと答えた。あ~なるほど、だから古い絵に牛を引く人々が描かれているんだ~。

 さて、駅の外にでると新興都市ならではの光景が見えた。新しい駅舎がポツンとあるだけで周りには何もない。ん~韓国に良くある風景だ。そして駅舎の端に現代的でシンプルなスーパーマーケットがあったので入ってみた。地方なので物価が安く、店では海産物が多く売られていた。ここはできたばかりの都市なのでホテルは無く、小さな貸し事務所の一室を宿泊する場所として予約していたのでそこへ向かった。事務所には70代ぐらいのおじいさんがいて、鍵を貰い部屋に入った。

 荷物を整理し少し休息を取った後、カメラだけを持ち外に出ようとした。そのとき、おじいさんが、貴方の会社と会員契約をするので会社の名前と住所を教えてくださいと声をかけてきた。まだ個人で始めたばかりの小さな設計会社で登録を済ましてなかったのでいや~結構ですよと私は答えた。おじいさんは、ケンチャナヨ、ケンチャナヨ(大丈夫だから、大丈夫)と言って、何回断っても聞き入れてくれない…。うまく話を濁してその場の離れた。南京錠で部屋の鍵を閉め、さっそく外に出てみた。まぶしい~夕方の時だったので、強い光が目に入ってきた。そして遠方には夕日にキラキラと輝く水面が見えた…。)

遊郭村
遊郭村

 今回の旅の目的地はソウル恩平区水色洞。以前から“水色(韓国読みでスセク)”と言う素敵な地名に興味があり行ってみようかと考えていたからだ。旅の前日にその地名の由来を調べていたところ、隣町の高陽市花田洞に“遊郭村”という珍しい名前の集落があることを発見し、その村を経由して水色洞に行くことにした。

 旅の当日、遊郭村のある最寄り駅、京義線花田駅で降りた。ここで一つ目のデジャブーを体験。花田駅の駅舎は夢の風景と同じく新しい駅舎で、駅前には商業施設が一つもなく閑散とした風景であった。(花田駅駅舎は2009年の京義線の電鉄化に伴い新築。)そして、20分ほど歩いて目的地である遊郭村に到着。この村の名は、資料(ネット検索による地区住民の話)によると、かつて山の中に遊郭があってソンビ(学者)たちが集まり国事を議論したので、その由来から付けられたと言われている。しかし、現地を廻ってみたがぎり遊郭らしき建物はなく、緑色・黄色・桃色のカラフルな壁面に可愛い猫が蝶と戯れる絵が描かれていた壁画村であった。(遊郭村およびその西部にある集落一帯は景観美化の目的で今年の5月に壁画作業が行なわれ壁画村に生まれ変わった。

 さて、次の目的地は水色洞。この素敵な街の名前は、現在漢江沿いにあるノウル・ハヌル公園(もとはソウル市のゴミ収集山、その前は蘭芝島という名の島)あたりが低湿地帯であったため、梅雨の時期に水が氾濫し、このあたりから水色一面の景色を見ることができたことに由来する。試しに韓国の友人に“水色(スセク)”って名前、素敵だねと言ってみたところ、え?水には色がついてないよと答えが返ってきた。日本語の歌の名前などで水色の雨とか水色の街と表現することがあるが、韓国語の場合水色を“水光(ムルビッ)”と表現することが正しいらしい。なるほど、“水色(スセク)”とは概念の無い単なる音声表記(シンフィアン)であって、“水光(ムルビッ)”とは概念や意味表記(シンフィエ)。ちゃんと分けて使われているのがユニークであり、光があってこそ水は水色になるのだ。

水色アパート、塗装の剥がれた部分が水色だ
水色アパート、塗装の剥がれた部分が水色だ

 かつて水色洞に住んでいたという友人らとともに洞内の散策を始めた。友人の一家が住んでいた家、水色小学校、学校前の商店街(トッポギ屋、文房具屋)、衰退の一途を辿る水一(スイル)市場、かつて天幕村(貧困街)があったところなど思い出の場所を廻り、最後に訪れたのが“水色アパート”。眩しい夕日の頃に到着した。このアパートは建てられて40年以上の歳月を経てはいるが、最初から水洗トイレがあり当時としてはかなり良いアパートだったらしい。塗装の剥がれた部分の色を見るかぎり、かつて水色洞の“水色”のアパートであったことが窺える。蘭芝島のゴミ埋め立て地の指定は1978年(約34年前)。だから40年以上前に建てられたこのアパートからは蘭芝島の低湿地が夕焼けに反射する“水光(ムルビッ)”が見えていたのかもしれない。そして、夢で見た最後のシーン“眩しい夕焼けのキラキラと輝く水辺”とは、この光景のデジャブーなんだろうと思いながら、夕日にキラキラ反射する変電所(韓国最古の変電所)を見ていた。

 後日……故郷から突然電話が来た。私の父親が数週間前に入院していたとの内容だった。数週間前と言えば丁度この不思議な夢を見た時。夢の中でしつこく話をかけてきた貸事務所の70代のおじいさんとは、病棟にて遠くで働く私を思い焦がれる父親の姿であったのだろうか…。

水色アパート屋上からの景色 奥に見えるのは韓国最古の変電所
水色アパート屋上からの景色 奥に見えるのは韓国最古の変電所

(おまけ:夢で見たキラキラと輝く水辺は川ではなく海であったので、本当はデジャブーとはならない。韓国のネイバー地図で牛路(ウロ)と検索してみたら、そのような名の地名はなかったが“牛路園村”という村の名前がヒット。なんとその村は海の景色が綺麗な全羅南道海南郡のどこかにかつてあったようだ。)

 

薔薇と市場と線路と、ソウル南西の境界地“九老区開峰洞・梧柳洞”を歩く

近代化の手遅れと大手スーパーの進出により、朽ち果てた姿を見せる梧柳市場
近代化の手遅れと大手スーパーの進出により、朽ち果てた姿を見せる梧柳市場

     ソウル市南西部に位置する九老区。そこに富川市と境をなす梧柳洞とその東に開峰洞という二つの街がある。この辺りはちょうどソウル市の西の玄関口にあたり、ソウルと仁川を繋ぐ大動脈である鉄道京仁線と京仁路が街中を並走している。九老区は、安養川の湿地帯であったため住居地域としては不適切で工業用水の取水が容易な場所であったことから、戦後韓国最大の工業団地として発展してきた。その九老区にある開峰洞は、安養川左岸の丘陵地であったため大小の工場は点在するものの1970年代の住宅地政策で住宅地として開発され、現在は多くの高層マンションが立ち並んでいる。この地には、そのようなかつての工場と都市の繁栄と現代文明への矛盾を詠った詩がある。それがオ・ギュウォン(呉圭原)作、『開峰洞と薔薇』。


『開峰洞と薔薇』
開峰洞入口の路は 一輪バラのため左に曲がっていて
曲がっている路のどこかにすり抜けて来た
バラは 路を勝手にひとり行くようにして
まだ搖れる枝そのまま、路の外に立つ
見てごらん たまに身を振って
葉たちがわがまま時間の風を起こすことを
バラはこちら住民ではなくて 時間外れのソウルの一部で
君と私は いとこらの話の中の一端くれで
雨降る地上のどの足跡にでも溜まる
言ってみろ 何でバラと触れることができるかを
あの不便な疑問 あの不便な秘密の花
バラと触れることができない時に
叩いてごらん 開峰洞 家たちの門は
どこでも開かれない
 
 この詩は、開峰洞が持つ"工場と都市と文明と公害"の表象イメージと "薔薇"が持つ神秘的で純粋な美しさを持つ生命の本質を示しながら、平和な生活を毀損させて破壊する現代文明を批判した詩である。
 一方、開峰洞の東に位置し富川市と境界を成す梧柳洞は、周辺を豊かな緑で囲まれ高層マンションが少ない街だ。かつて鉄道がない頃はソウルと仁川のちょうど中間に位置しているため京仁路に旅館街や市場が形成され、人々の賑やかな往来があった。1899年鉄道京仁路線が開通すると徐々に近郊農業地として発達し、1970年代は"梧柳谷瓜"と言う名の瓜の特産地として有名となった。地元の農家は、永登浦、鷺梁津、龍山、三角地、南大門を過ぎ東大門市場まで馬車を使って瓜を売り、仁川までの貨車の運行が盛んになると、東仁川駅近くの崇仁洞市場でも瓜を売っていたという。しかし、この"梧柳谷瓜"は、1990年代初め姿を消してしまった。それは、保存期間が2日程度しか持たなく、代わりに10日程度保存が可能な改良種のメロンの出現で栽培する農家が減ったためである。
 この梧柳洞には、そのかつての繁栄の面影を見ることができる場所がある。それが梧柳市場だ。現在、市場の近代化の手遅れと周辺の大型スーパー進出で衰退の一途を辿っている。この市場は1968年に2階建ての建物型市場として作られ、今見ても結構モダン造りになっている。この建物の形式は今で言うショッピングモールと同じ形式だ。通りの両側に店舗が並んでいて、その通りの中程には両側の二階へと繋がる階段があり、二階通路からは一階の通りが望めるよう吹き抜けになっている。市場の玄関口の壁はプラスチック波板を一面に配して、モールの屋根は波板トタンとプラスチック波板を交互に配置し、入口のアプローチとして明るさを確保している。モール上部には構内案内やBGMのための拡声器型スピーカーが設置されている。これだけの要素を見れば、かつての賑やかな雰囲気が蘇ってくるようだ。 
航洞汽車道
航洞汽車道
 さらにもう一つ梧柳洞には子供の頃を思い出させるような趣きのある場所がある。それが、貨物線「航洞汽車道」だ。1998年に開通した九老区梧柳洞-富川生態公園(京畿道富川市玉吉洞)区間、約20キロの「3軍支司(第3軍支援司令部)線」で、貨物列車は1週間に2本ほど走る程度。ここは貨物線の郷愁を誘うような風景に誘われて家族や恋人たちはもちろん線路マニアや写真家がよく訪れている。現在この線路沿いには都心の公園として“青い植物園”が造成中だ。
 この公園は、2003年のイ・ミョンバク前市長の方針に沿って計画され2011年オ・セフン前市長がキャンプ場整備の導入を決定したが、敷地近隣住民の意見や苦情を受け入れ、パク・ウォンスン現市長が計画内容を変更し生物多様性を確保した市民の環境教育の場として生態植物公園になる予定だ。
そろそろ紅葉の季節、ソウル南西境界地の小さな歴史散歩に出かけてみてはいかがでしょうか?  ↓「航洞汽車道」の位置

“通仁市場「弁当カフェ」で楽しく伝統的市場体験”

 コンビニエンスストアで買い物をした時にカードで清算すると、若い店員などがカタカタとしきりに決済ボタンを叩くことが多い。カードで支払う電子のお金は人には見えない。その若い店員に限らず、私たちは日頃会社や自宅のパソコンを前にして同じようなことをしてしまっている。私たちはいったい何と戦っているのだろうか?IT技術の発達により、様々な行為が指先一つできるスマート(便利)な時代になり、身体性のある“リアルな体験”が喪失し、スマート(便利)の影で隠れている“見えない何か”と対話する空虚な世の中となってしまったのだろうか。
 また、そのような機械に対してでなく、対人間に対しても同様な喪失感に出会うことがある。それはチェーン店などで見られるマニュアル化された接客である。例えば、カフェのモーニングセットを注文し、しばらくして追加注文したとき、モーニングセット提供時間を数分オーバーしただけで追加注文できなくなることがあった。提供時間内に来店したにもかかわらず追加注文ができないのだ。店員は「箇条書き(応用が利かない)」だけのマニュアルロボットになってしまったのであろうか。 
 スマート化やマニュアル化は決して悪いことではなく、煩わしい対人関係をスムーズにし気が楽な面が多いが、その一方で人々が深く感情的かつ心理的に結びついている人間の関係性を喪失させているのは確かだ。
そのような喪失化した世の中で、ユニークな試みを行っている市場が韓国にある。それがソウル市鍾路区通仁洞にある通仁市場だ。この市場は70年以上の歴史がある伝統的な市場で、1941年6月、日本占領期に孝子洞近くに住む日本人のために建設された公設市場が母胎となっている。朝鮮戦争以後、この周辺には露店や商店が形成され今の市場形態になり、現在の店舗数は75店舗。
 さて、そのユニークな試みとは 通仁市場 「お弁当カフェ」。そのシステムはこうだ。市場の中間ぐらいに位置する顧客満足センターの1階で係員に5000ウォンを支払い、5000ウォン分の地域通貨(真ん中に四角い穴の開いた昔風の小銭500ウォン×10枚)と弁当箱に交換。そして、この弁当箱を持って市場内にある惣菜店を歩き回り自分が食べたいおかずを選べば良い。大抵は500ウォンの小銭1~2個でおかず一つを選ぶことができ、おかずを選んだ後は、顧客満足センターの2階にあるカフェに上がり、ご飯や汁物を購入し弁当を食べることができる。惣菜屋のおかずメニューは、韓国人が日常的に家庭などで食べる“おふくろの味”。
 チジミ、つくね、餃子、ナムル、キムチ、豆の煮物、イワシ、豚肉炒めなど、店主が心を込めて調理した様々なおかずの中から選ぶことができる。毎週火曜日には"ビビンパ•デイ"で、この日は、弁当箱ではなくビビンバ用の器が提供される。
この「弁当カフェ」は新聞やニュース、インターネットでうわさが広まり、ソウルを訪れる外国人観光客も訪ねてくるほどになった。平日のランチ時間には、周辺の会社員たちが群れをなして集まり、週末には、10代~30代の若い人々、ちょっと変わったデートコースとして男女カップルが手をつないでくるほどだ。
 このように韓国の伝統的な市場がユニークな策を出してくるのには訳がある。近年、大型スーパーの普及により伝統的な市場を訪れる人が減り、市場の売り上げが大幅に減少しているからだ。スーパーのようにカートで買い物ができる市場、エスカレーターのある市場、買ったものを自宅まで配送してくれるサービスがある市場などユニークなアイディアの市場が生まれ、IT先進国韓国らしくソウル市では、代表的な市場に無料でインターネットが利用できる無線LANの設置計画を進めている。
 通仁市場 の「お弁当カフェ」。ここには、スマートや箇条書きのマニュアルは存在しない。通貨はカードでなく昔風の小銭。チャリンチャリンと音を立てながら小銭を介しての手と手の触れ合い決済。マニュアルな接客でなく、実際に惣菜を作った店主の顔と心が見える接客。“これどんな味ですか?美味しそう~”などと店主とのささやかなコミュニケーションがあり、そのような対話を通じ店主は働き甲斐を得ることができる。そして、惣菜店それぞれの惣菜の味と色を楽しみ、店主それぞれのコミュニケーションを通して訪問者は食と心が充実した韓国の伝統市場の体験をすることができる。
 喪失化が進んだ世の中で、この市場の体験は実に楽しく、ここには日頃の喪失感を充実感へと変えるスイッチがあるかもしれない。この通仁市場「弁当カフェ」、読者が韓国ソウルへ立ち寄る計画があれば、是非とも訪問してほしい市場の一つである。
 
通仁市場「弁当カフェ」情報
営業時間:午前11時〜午後5時(月〜土)、地域通貨の販売は午後4時まで、土曜日の午後は大変混雑しますので、平日と土曜日の午前中がお薦め。
行き方:地下鉄3号線景福宮(キョンボックン)駅の2番出口を出て、大通りに沿ってまっすぐ北方向500mくらい進み、木製の突き出た屋根のようなものがあるところが市場の出入口。

城北洞の鳩はどこへ行ったのだろうか?

 私は韓国で仕事をしながらソウル市の城北区に住んでいる。城北区と言えば、お金持ちの街、大使館関係者が多く住む閑静な住宅地“城北洞”を想像する人が多いと思うが、もう一つ有名なのが詩人キム・グァンソブ(金珖燮、1905年〜1977年)作の詩『城北洞の鳩』である。
 『城北洞の鳩』
城北洞の山に新しい番地ができてから、
本来棲んでいた城北洞の鳩だけが番地を失った。
夜明けから石破る山びこに身震してから、
胸にひび割れができた。
それでも城北洞の鳩は、
神様の広場みたいな真っ青な朝空に、
城北洞の住民に祝福のメッセージを伝えるように、
城北洞の空を一回りふり回る。
城北洞の荒い不毛の谷間には、
静かに座って豆一つ一つ突けて食べる
広やかな庭先どころか、行く所ごとに
石切り場の砲声がこだまして、
避難するように屋根に座って、
朝、練炭煙突の煙で郷愁を感じながら、
山 1番地の石切り場に戻って、
すぐ取った石片の温もりにクチバシをぬぐう。 
昔は人を聖者のように思って、人近く、
人と一緒に愛して、人と一緒に平和を楽しんだ。
愛と平和の鳥、鳩は、これから山も失って人も失って、
愛と平和の思想まで、産めない追い回される鳥になった。
 この詩は韓国の国語の教科書に載っている有名な詩で、60年代から始まった近代化、工業化に伴う自然破壊と人間性の喪失という現実認識が、この詩を創作するきっかけとなっている。"鳩"は都市化、産業化のため、疎外されていく人間を象徴しており、批判者としての役割を持っている。戦後、城北洞周辺は大きく人口が増加した。その要因は、当時ソウルの郊外だったことで地価が安く、周辺に多くの大学が位置していたためである。この周辺には敦岩洞(ドンアムドン)や安岩洞(アンアムドン)など岩山を意味する地名が多いことからわかるように、家を建てるために岩を砕く必要があり城北洞の鳩は、石破る山びこ音に身震し、居場所をなくし追い回される存在となっていったのだ。 今、ソウル市内で、にわかに注目を集めながら、『城北洞の鳩』の中で書かれているように、“山(住処)も失って、人(本来の住民)も失って、追い回されそうになっている”村がある。それが、城北区三仙洞の長寿村。この長寿村は、1960年代前後、故郷を離れソウルに仕事を求めて来た人々が住みかを求めて形成された貧困街で、三仙洞の急斜面の空き地に基礎を築いて柱を立てて形成された。本来ここは国有地であり、無許可住宅となるわけだが、土地を払い下げて所有する住民もあったが、現在も村の土地の70%はまだ国有地。 無許可住宅であるため家主は弁償金を払い続ける必要がある。またこの村は、2004年に再開発予定地に指定されたが文化財保護区域である上、容積率(平均130%)、階数5回以内の制限があり、急斜面地であることから開発利益が少なく開発の進行を免れ、ソウルでは見るに稀なまだ田舎のような懐かしさの情緒と人情が残っている。 
 この長寿村がにわかに注目を集めている理由は、城郭を挟んで反対側に多くの人が訪れる駱山(ナクサン)公園があるため、城郭の散策途中で、訪問者が訪れるようになり、“町内大工”という名の村企業による住民参加型のまちづくりが行われメディアが取材に訪れるようになったからである。しかし、メディアなどで注目されることによりこの村は新たな葛藤を生むことになった。経済的に余裕のある家主が再開発による利益を期待する一方、家主が家賃があげて、やっとのことで生活している住民が住むことを困難な状態になったり、弁償金を出すのが困難な零細家主は都市基盤や住居環境だけ直してずっと居住することを期待ているなど複雑な利害関係が存在している。 でも、この村と“町内大工”による街づくりは本当に素晴らしい。彼らが運営するホームページを見るとそのことがよくわかる。かつて住民が身勝手に捨てていたゴミ問題解決から始まり、子供や女性たちの交流会、勉強会、村の歴史発掘・自慢発見、迷路の様な路地での子供のゲームなど。ここには、貧しくても人間的なコミュニティーが存在している。 ソウル市は、この村をまちづくりの生きた教材として、幹部公務員の見学を実施し、某新聞においては、ソウル市長がこの村を“真の共同体”を作る村として期待を寄せている。私は、この村から愛と平和の共同体思想が産まれ、この村が人々に祝福のメッセージを伝える“鳩”になり、我々の前に姿を現すことを願っている。 
↓「長寿村」の位置

市場でもらった‘心のおまけ’

 “おまけ”と聞くと、ワクワクするものだ。誰でもお菓子箱に一緒に付いてきた小さなオモチャや野球選手の写真の“おまけ”を思い出すだろうし、市場の買い物などで、常客であれば店主から日頃の思いを込めて“おまけ”を貰うことを考えるだろう。今回の独報紀は、城北区長位洞にある新石串市場へ出かけた時、そこの市場のおばあちゃんから思いがけない  “心のおまけ”を頂いた話である。                                                  

 ソウル市城北区石串洞(セソクグァンドン)にある新石串市場。この市場は、屋根に開いた穴から陽のあかりがもれる崩壊寸前のような古い建物の中にあった。そこでは、小学校の体育館の半分ほどのがらんとした室内空間の中に、店主を無くしゴミ置き場と化した室内店舗が並んでいた。厚い埃をかぶった柱、看板、窓、そして数台のバイクと車。そんな中にたった一人だけで小さな一杯飲み屋をしているおばあちゃんが布団にくるまりながらTVを見ていた。布団の脇の二つの古時計。使い古された小さなかまど。テーブルには焼酎の瓶と箸立て。そして、その店だけを照らすたった一つの裸電球。室内に鳴り響くTVアナウンサーの声。一声かけるとおばあちゃんは、布団から腰をあげて、ぬるいお茶とタイヤキを出して私を温かく迎えてくれた。腰から下を布団の中に入れながら、父は日本でなくなったこと、息子の話、国民学校で日本語を学んだこと、生まれは釜山であることなど、時より唾を吐きながらいろいろ話をしてくれた……。この一杯飲み屋は6時から始まる、それまでは暇な時間なのだ。

私は、そのおばあちゃんの姿の写真を撮りたい衝動に駆られた。今日、実際そのためにココに来たのだ。でも、こんな何もないゴミのような空間で、たった一人で暮らす寂しいおばあちゃんの姿を撮るのには心の準備を必要とした。写真を撮ることで温かく私を出迎えてくれた彼女の心を損ねてしまっては、この出会いがないものになってしまう。そして結局、数回会って仲良くなった時に、心置きなく撮るようにと考えた。

 かれこれ数十分ほど話をして、私は市場の外に出た。が、まだ、迷いはあった。やっぱり、今もう一度あって写真を撮ろうか、この市場中の写真を一枚でも撮って見ようかなど考えながら、市場のまわりを数回ほど歩いた。そして、一服しながら市場の古びた壁や巨大に成長したつららを眺め、おばあちゃんとの出会いを回想していた時、市場の出入口付近で私を探すあのおばあちゃんの姿があった。そして、近づいてきて何も言わずに笑顔で私の瞳を見つめ、しわくちゃの手でミルクキャンディを渡してくれた。その時私は、まるで子供の時に帰ったような心温かい思いを感じ、わざわざ私を探して会いに来てくれた彼女の思いに触れた。

 

 私はこの市場で何も買い物をしていない。しかし、おばあちゃんとの心と心の会話から“心のおまけ”としてミルクキャンディを頂いたのである。

 

 このように市場は、物とお金を交換する場所ではなく、心と心も交換できる場所なのだと思う。だから、市場固有特性かしてが心(情)わすことができるところ、のにおいをじることができるところ伝統かがうごめく場所として、たちのそばにくことを願っている

 

暖かい“情”が残る韓国人のふるさと、タルトンネ白砂村を歩く

 月に届きそうなほど高い場所にあることから名づけなれた、月の街(タルトンネ)。1960~70年にかけて、ソウル中心部の開発によりそこに住んでいた住民が政策的に郊外に移住させてられてできた街、地方を離農してソウルで生活を始めた人々が高台のある土地にバラック小屋を建ててできた街などを総称してタルトンネと言う。現在、貧困街とも呼ばれ急激な都市化と産業化によって取り残された人々がひっそりと生活をしているが、1980年代中盤から始まる高層マンションの建設用地になることが多く少しずつその姿を消しつつある。
 今回御紹介するのは、白砂村(ペクサマウル)。1967年、当時の政府が都心開発を理由に 龍山(ヨンサン)、清渓川(チョンゲチョン)、安岩洞(アナムドン)の貧しい村に住んでいた人を対象に強制的に移住を推進し、新しい居住地域として白砂村を用意したのが始まりである。 現在、1600程度の世帯が集まっており、その広さから“ソウル最後の貧困街”と呼ばれている。
 山の斜面に立ち並ぶ瓦屋根の小民家 、チリンチリンと鐘を鳴らしながら食料品や日用品を販売する軽トラック、外に干された洗濯物、玄関前のキムチ壷など、当時の姿をそのまま残した懐かしい風景が広がっており、韓国人にとっては昔の人の繋がりの深かった“情”のある風景として、遠い思い出を呼び起こしてくれる。またこの風景は、日本人にとっても高度成長期前夜の昭和中期を呼び起こす風景として見ることができるのではないだろうか。
 さて、この白砂村、最近注目を集めている。一旦、ニュータウン開発の計画が持ち上がり、高層マンション中心の全面開発方式が採択されたが、自然に構築された共同体の保存が必要であると主張する専門家たちによって保護区に指定され、その後ソウル市長の交代により、大きな建物は建てず、既存の建物を修繕しながら村の共同体を育む街づくりを進める計画が採択された。そのニュースを記載したある媒体は、こう書いてあった。“村”、“共同体”は、しばらく国語で消えた言葉でした。しかし、我々の時代はそれを必要としてます。よい提言であると思います。人々の“情”と“和”のつながりによって村や共同体ができるのです。

↓白砂村の位置

庶民の台所の在来市場を歩く(私の在来市場好きの原点)

 ソウルには、東大門市場や南大門市場など、巨大な市場がたくさんある。ソウル三大市場の一つだった中央市場、うまいもん通りのある広蔵市場、乾魚物を楽しめる中部市場、薬令市場に近接する京東市場などだ。しかし、その一方でソウルの街並に隠れながら、地域の住民の台所として生鮮三品(野菜、肉、魚)を扱っている小さな在来市場も数多く存在する。そして、その中にはあまり綺麗とは言えないが、老朽化し崩れかけたような建物が軒を並べる古い在来市場がある。
 私はそこで妙な体験をした。その体験とは、なんとも言えない懐かしさを感じるの「市場の匂い」である。古い建物や路上店舗からこぼれてくるやや疲れた野菜の匂い、土の匂い、そして食材を加工する機械の油の匂い。その匂いは、けっして、よい匂いではないが、農家で育った私にとって、格別な匂いであった。農家には必ず収穫物や農機具を納める納屋がある。そこでは、野菜と土の匂いに混ざった中で汗水を垂らして収穫した野菜などを運ぶ両親の後ろ姿がある。その原風景の匂いの記憶と市場の匂いとがオーバーラップし、なんとも言えない懐かしさを感じたのだ。
 市場は、そのような原風景を感じる場でもある。韓国人にとっては、食材を売るお婆ちゃんの姿に懐かしい母の胸の中に帰ってきたような感覚を覚えるだろうし、幼少の時に食べたトッポギの味や家族と一緒に買い物を楽しんだ記憶が蘇ってくるだろう。そう感じずにはいられないのが市場であり、そういう意味で市場とは人間の極めて本質的な拠り所の一つではなかろうか。
 さて、4月11日に総選挙(国家議員選挙)が行なわれた。その選挙期間中において市場には、多くの議員が遊説に訪れ、庶民の味方であることをアピールした。市場に対する選挙の議論の的は、財閥系企業の路地商圏侵入禁止、スーパーマーケット営業時間制限規定、韓米FTA問題などに対する保護政策。そのような議論が渦巻く中で、最近ユニークな活性化策が生まれてきている。市場で販売されている総菜を自分で選んで弁当のパックにつめ、それを市場内の共同食堂でみんなと一緒に食べる“物価高の時代、商人と会社員をつなぐ〈通仁市場〉の共存弁当”、蔚山(ウルサン)市中区、5ヶ所の住宅団地(1624世帯)と在来市場3ヶ所が、"月1回市場に行く日"を決めるなどの姉妹提携などだ。このような活性化策が今後活発に発案されて、市場が庶民の拠り所として継続して存在してほしいものだ。